
男性には、言葉数が少ない人が珍しくありません。
夫婦となり、気心が知れた間柄になると、よりその傾向が強くなる人もいます。
いわゆる“阿吽の呼吸”でコミュニケーションが成立しているならば良いのですが、「こっちの言うことを分かっているんだかどうなんだか…」ということもありますよね。
そこで今回は『察すること』について心理学的な視点から少し考えていきたいと思います。

長年連れ添った家族ならではの、“察しの良い”やり取りですね。
『アレ』という言葉はそれだけで何かに直結することは普通ありません。
でも、それでピンと来る、態度や雰囲気でなんとなく相手が何を思っているのかがわかる、というのは人間の「察する力」があってこそ。
相手が今どのような気持ちでいるか推測する(察する)力を、心理学では「共感性」と呼びます。
相手の気持ちを相手の身になってとらえることができれば、相手への思いやりや気配りへとつながっていきます。
家族やパートナーの存在は、心の支えやよりどころとなる大切な存在です。
特に、家族が自分の気持ちや状況を察して気遣ってくれるとき、ありがたさもひときわ強く感じられます。
・食卓で手を伸ばせば調味料を渡してくれる
・ただいまの声色ひとつで、「おつかれさま。今日どうだった?」と話しかけてくれる
・表情や態度から「ピリピリしてるな」と感じれば、そっと見守っていてくれる
共有時間の長い家族ならではの、ありがたいファインプレーですね。
その一方で、なかなか察してくれず、がっかりすることも少なからずあるはずです。
・話を聴いてほしいのに、逆に話をずっと聴かされた
・落ち込んでいて、なぐさめてほしいのに、逆に説教された
・家事を手伝ってほしいのに、家族は無関心だった
家族だからこそ「
多くを語らずとも察してほしい」という気持ちは募りがちです。
それでは、なかなか“察してくれない”家族に対してどんな心構えをしておくとよいのでしょうか?